誕生日なにそれおいしいの?

自分の思ってることを人前で話すとうざがられるのでブログでいろいろと書いていきたいと思っています。

夢を否定するな、という先生方へのただの文句

はいどうも皆さんこんにちはー。

muyomuです。今日は非常に暑い。家の中にいても日があたってきますからね。

そんな感じで今回のテーマなんですけれども今回は「勉強の必要性」って感じですね。

学生の方は絶対多くの人が「あれこの数式将来使うんかなー」ってふと疑問に思ったことあると思うんですよね。もちろん僕も思っています。(現在進行形)

これについて僕なりに考えたことを書いていきたいと思います。まず勉強の必要性に関してです。

いやーね、先生に聞くと「ないよりは知識があったほうが良いから」とか「直接は使わないけど考え方は使う」とか言われると思います。先生の言い訳フレーズですね。(生徒に言われた時の対処法)

じゃあまず「ないよりは知識があったほうが良い」ということについて話しますね。

これいわれて最初に僕が思ったのは「この先生嫌いだなーって」

例えば「幾何の図形の証明」、「古文の現代語訳」そういうのほぼ間違いなく使わないこと間違いないですよね?そんなことわからないだろ、いつかは使うかもしれないなんて言ったらあらゆる世の中の学問制覇しないといけないですよ。だから優先順位をつけたいなって思ったんです。

古文の現代語訳やってる暇あったら例えばプログラミングやったらいいんじゃないですか。e‐sportsはやっててゲームを極めたいからゲームの知識を学びたいとか。これも立派な知識ですよね。ゲームの知識なんて将来のためにならない?いやいやないよりはあったほうがいいですよね?(オウム返し)

でもねこういうこと言うとこういうこと言われるんですよ。「お前な確かにプログラミングとかゲームの知識も立派な知識の一つだぞ。でもな現実も見ろ。そんなことしたって大学受験には意味ないんだよ」って。

なるほど確かにね。大学受験で一部の例外を除いて「ゲーム知識」とかいう教科僕も聞いたことないですよ。でもね僕これを先生から言われた時「怖いなー」と思いました。

なぜかって学校に行ってると(特に私立の中学、高校)大学受験に受かること、定期試験でいい成績を修めること、大学受験に受かること=将来のためになる、良いことをしている、という考え方を無意識のうちに刷り込まれてるんですよね。

定期テストでいい点とったら「努力してるなー。えらいぞ」でもゲームでハイスコアとっても「そんなことしてる暇あったら少しでも成績を上げるように努力しろ」って言われると思います。

で、親からも「あなたの将来が心配だわ」とか追い打ちをかけられるんですよ。

いやーね。こわいね。こういう言葉は安易に使いたくないけど「洗脳」ってこういうこと言うのかなって思いました。努力の価値が違うんですよね。それと密接に関係してくるのが「夢」ですね。

例えば将来「一流企業につきたいから偏差値が高い大学目指す」のが目標の人と「将来プロゲーマー」になるのが目標のひとでは「将来のためになってること」の内容が違ってくると思うんです。

前者の人は「学問に専念すること」、後者の人は「ゲームの技術を磨くこと」。

でも学校という場では「学問に専念すること=良いこと、まじめ」という考えを押し付けられます。

のくせして、「若いうちから夢を持つことは大変良いことでして...」とか校長が語ってますもん。

いやいや俺いままで学校通ってきて「プロゲーマーいいぞいいぞ。先生は感動した」とかいう先生来たことねぇよ。(とはいえ全国にはそういう素晴らしい先生方いると思います。)

ここまで書いてきたんですが僕は決して「古文を一生懸命やってる人」を馬鹿にしたりとか「大学受験のために真剣に勉強している人」を見下したりしているわけでは一切ありません。

ただ学校の上で改めてほしいことがあるだけです。

それはただ単に「夢を否定しない言い方」をしてほしいということです。

「プロゲーマーか。その選択肢もあるよな。でも規則正しい生活習慣や人間性、努力する癖はプロゲーマーにも必要だから勉強と両立させていこう」とか。

「成績下がってしまってるね。じゃあ勉強を楽しくするように何か好きなものと結びつけよう」とか。いそうで意外といない先生です。(少なくとも僕の身近には)

ということでね、学校に行って学びを深めるのはすごく素晴らしいこと、行きたい学校に向けて真剣に努力することもすごいこと。でも勉強する=必ず将来活きてくるはNG。先生遠回しに夢否定するのやめて。いろんな人がいていいじゃんか。言い方を変えてくれ。(金子みすゞさすが)

これが僕が一番伝えたいことです。

今日のひとこと:金子みすゞさすが